【山梨県】忍野八海の伝説や名前の由来

お出かけ

こんにちは。shama(しゃま)と申します。

今回は、この間訪れた忍野八海の各池の伝説や名前の由来が気になったので調べてみました。

忍野八海の体験談はこちらから↓

忍野八海

忍野八海とは、山梨県南都留郡忍野村にある8つの池が集まってできたため、「忍野八海」と呼ばれています。

忍野八海の水は透明で青く、富士山の雨雪が20年以上かけて湧き出たもので、この水は古くから清浄で霊力があると信じられ、信仰の対象となってきました。かつて忍野村は宇津湖という巨大な湖でしたが、800年の富士山大噴火で分断され、忍野湖と山中湖になりました。
忍野湖は富士山の噴火活動を何度も経て、徐々に富士 裾野と御坂山系との狭間を水触、掘削排水され長い期間の後、ついに湖は涸れました。しかし、富士山の伏流水に水源を発する湧水池がいくつか残りました。
その代表的な湧水池の8つが「忍野八海」で、今では、環境庁から全国名水百選に選定されています。

8つの池の名前は、出口池、お釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池。

各池には、色んな伝説や名前の由来があります。
その中でも最も伝えられている話をご紹介します

※参考「忍野村観光協会」

「出口池」の伝説や名前の由来

忍野八海の出口池(でぐちいけ)は、その特別な湧水で古くから「清浄な霊水」と呼ばれてきました。この水には、穢れを祓う力があると信じられています。特に富士山への登山を目指す行者たちにとっては、重要な役割を果たしてきました。

行者たちは、富士山登山の前に出口池に立ち寄り、この清浄な霊水で身を清めました。これは単なる身体の清潔を保つためだけではなく、精神的な浄化を意味していました。清めの儀式を通じて、心身ともに穢れを祓うことで、神聖な山である富士山への登山が安全かつ成功裏に行われると信じられていたのです。

また、出口池の水を携えて登山することも行われていました。行者たちはこの水を入れた小さな容器を持ち歩き、登山中に飲んだり、特定の儀式の際に使用したりしました。この水を持つことで、富士山の神々の加護を得るとされ、無事に登山ができるという言い伝えが堅く信じられていました。

このような背景から、出口池は「精進池」という別名でも知られています。「精進」とは、修行や自己修養を意味し、特に宗教的な修行において重要な概念です。精進池という名前は、この池が行者たちの修行と深く結びついていることを示しています。出口池は、ただの水源地としての役割を超え、精神的な浄化と安全な登山を象徴する神聖な場所として、長く信仰の対象となってきました。

「お釜池」の伝説や名前の由来

昔、忍野八海の一つであるお釜池(おかまいけ)のほとりには、年老いた父親と美しい二人の姉妹が暮らしていました。ある日、妹が池で洗濯をしていると、突然大きなガマガエルが現れ、彼女を水中に引きずり込んでしまいました。驚いた父親と姉は近所の村人たちを集め、必死で妹を探しましたが、池の深さと神秘さのため、遺体すら見つけることができませんでした。

妹が行方不明になった後、父親と姉は悲しみに打ちひしがれ、池のほとりに留まり続けました。彼らは毎日、妹の冥福を祈り、彼女が平和に眠れるよう願いました。この悲しい出来事は村中に広まり、池は「お釜池」と呼ばれるようになりましたが、妹を引きずり込んだガマガエルの伝説から「大蟇(おおがま)池」とも呼ばれるようになりました。

この伝説は、池の神秘的な雰囲気と、自然の力に対する畏敬の念を感じさせます。また、家族の愛情と悲しみが深く刻まれた場所として、訪れる人々に感動を与えます。お釜池は、ただの美しい水源地だけでなく、こうした伝説を通じて歴史と感情が交錯する特別な場所となっています。

「底抜池」の伝説や名前の由来

忍野八海の底抜池(そこなしいけ)には、昔から不思議な伝説があります。この池で洗い物をしていると、誤って手から離れた道具や野菜が渦に巻き込まれて消えてしまうと信じられていました。村人たちは池に落ちた物を探しましたが、見つけることはできませんでした。しばらくすると、それらの物が池の底を通り抜け、お釜池に浮かび上がってくることがたびたび起こりました。

この現象は村人たちの間で「底抜池の神秘」として語り継がれました。村人たちは底抜池で洗い物をすることは、神様の怒りを買う行為であり、慎むべきだと考えていました。特に大事なものを池に落とすと、それが神様への供物と見なされ、取り戻すことはできないと信じられていました。

この伝説は、底抜池がただの水源地ではなく、神聖で神秘的な場所であることを示しています。池の深さとその底が見えないことから、池が別の世界と繋がっているような印象を与え、村人たちの畏敬の念を集めていました。底抜池とお釜池の間の不思議な繋がりは、地域の人々にとって自然の力と神秘を感じさせる重要な物語として語り継がれています。

「銚子池」の伝説や名前の由来

昔、ある家の花嫁が厳粛な結婚式の最中に大きな音のおならをしてしまいました。その音は非常に大きく、周囲に隠しきれないほどでした。年若く初心な花嫁は、深い恥ずかしさを感じ、結婚式の席にいられなくなりました。彼女は隙を見て席を抜け出し、持っていた銚子を抱えて銚子池(ちょうしいけ)に身を投げてしまいました。

この悲劇的な出来事の後、池の底には花嫁が履いていた草履が映り見えることがあると言われています。この伝説は、池がただの自然の一部であるだけでなく、感情と歴史が交錯する場所であることを物語っています。

この悲しい出来事に基づいて、銚子池は「縁結びの池」としても知られるようになりました。花嫁の深い悲しみと純粋な心が、この池に特別な力を与えたと信じられています。現在では、多くのカップルが銚子池を訪れ、縁結びのご利益を求めて祈りを捧げています。

銚子池の伝説は、忍野八海の中でも特に感動的なものであり、訪れる人々に深い印象を与えています。この池は、美しい自然景観だけでなく、心に残る物語を持つ特別な場所として、多くの人々に愛され続けています。

「湧池」の伝説や名前の由来

忍野八海の湧池(わくいけ)には、古くから語り継がれる神秘的な伝説があります。昔、富士山が大噴火を起こした際、焼け付くような熱が地域を襲い、人々は非常な苦しみを味わいました。のどの渇きや火事、野火に苦しむ中、人々は水を求めて絶望的な叫び声を上げました。その声は天地の間に広がり、救いを求める祈りが響き渡りました。

その時、天から美しい声が響き渡り、「わたしを信じなさい。そして、永久にわたしをうやまうならば、私がみんなに水をあたえよう」という言葉が聞こえました。この声の主は、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と言われています。彼女は富士山の神であり、その慈悲深い心で人々を救おうとしたのです。

この天の声を信じた人々は、木花開耶姫命を崇敬し続けました。まもなくして、溶岩の間から清らかな水が湧き出し、池となりました。この池が湧池です。この出来事は、地域の人々にとって奇跡の象徴であり、湧池は神聖な場所として大切にされました。

湧池の水は、その名の通り、絶えず湧き出る清らかな水で満たされ、現在でも訪れる人々に癒しと安らぎを与えています。この伝説を通じて、湧池は自然の驚異と神の恩恵を象徴する場所として、多くの人々の心に深く刻まれています。訪れる人々は、湧池の美しさとその神秘的な力を感じながら、過去の出来事に思いを馳せることでしょう。

「湧池」の伝説や名前の由来

忍野八海の濁池(にごりいけ)には、かつて村人の飲料水として利用されていた澄んだ水を持つ池でした。しかし、ある日、乞食のようなみすぼらしい行者が村に現れ、この池の地主の家の前で一杯の飲み水を求めました。この行者は見た目こそみすぼらしかったものの、その目には不思議な光が宿っていたといいます。

家の老婆はこの行者をただの乞食と思い込み、無愛想に断りました。その瞬間、池の水は急に濁り始め、村全体が驚きました。池の水が濁るという出来事は、村人たちにとって信じがたいものであり、日常生活に大きな影響を及ぼしました。

しかし、不思議なことに、この濁った水を器に汲み取ると、再び澄んだ水に変わるという現象が起こりました。この出来事は村人たちに大きな教訓を与えました。それは、見た目や先入観で人を判断せず、誰に対しても親切に接するべきだということです。この行者は実は神の使いであり、老婆の態度を試すために現れたのだという話もあります。

この伝説は、濁池がただの自然の一部ではなく、人々の心の清らかさや優しさを試す場所であることを示しています。現在でも濁池を訪れる人々は、この伝説を思い起こし、自分たちの行いを振り返るきっかけにしています。また、濁池の水が器に汲み取ると澄むという神秘的な現象は、多くの観光客の興味を引き、忍野八海の魅力を一層高めています。

「鏡池」の伝説や名前の由来

鏡池(かがみいけ)には、古くから特別な霊力が宿っていると信じられてきました。この池の水は、すべての物事の善悪を見分ける力があるとされ、村内で争いやもめごとが起こった際には、重要な役割を果たしてきました。

村で何かトラブルが発生したとき、争っている双方が鏡池に集まりました。彼らは池の水で身を清め、心身の浄化を行いました。この儀式は、争いを解決し、平和を取り戻すための重要な手段でした。鏡池の水はその透明さと神秘的な力により、心の中の悪意や誤解を洗い流すと信じられていました。

さらに、鏡池の水面は周囲の景色を鏡のように映し出す特性がありました。争いの当事者たちは池の水に自分たちの姿を映し出し、自らの行いを見つめ直すことで、冷静な判断を促されました。これにより、もめごとが円満に解決されることが期待されました。

この伝説は、鏡池が村のコミュニティにおいて重要な役割を果たす神聖な場所であることを示しています。村人たちは鏡池の霊力を信じ、争いが生じるたびにこの池に頼り、平和と調和を取り戻してきました。

「菖蒲池」の伝説や名前の由来

菖蒲池(しょうぶいけ)には、古くから病気を治す力があると信じられてきました。伝説によると、池の近くに住む若い夫婦がいました。ある日、夫が肺病にかかり、妻は懸命に看病をしましたが、夫の病は悪化するばかりでした。妻は神仏にすがる思いで、この池の水で身を清め、一心不乱に祈願を続けました。

ちょうど37日目のことです。妻は「池の菖蒲を取って夫の身体に巻けば、夫を苦しめている病魔は必ず退散する」という神のお告げを聞きました。妻はすぐにその指示に従い、池の菖蒲を摘んで夫の身体に巻きました。すると、驚くことに、1か月もたたないうちに夫は快復しました。

この伝説は、菖蒲池がただの自然の池ではなく、神聖な治癒の力を持つ場所であることを示しています。現在でも、多くの人々が菖蒲池を訪れ、その伝説に基づいて健康を祈願しています。菖蒲池の水と菖蒲は、地域の人々にとって貴重な財産であり、その神秘的な力は多くの人々に希望を与え続けています。

最後に

各池には色んな伝説から名前の由来がついたんですね。

これを知っているのと知らないのでは、忍野八海に訪れた時の楽しみ方が変わるかもしれませんね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました